日本共産党の活動

埼玉・寄居町 内田登喜治さん

埼玉県寄居(よりい)町の内田登喜治さんは1911年(明治44年)生まれ。106歳になった今も大変元気で、眼鏡もかけずに第27回党大会決定の三文献を読了しました。「野党連合政権を実現して、この目で見届けたい」と意気盛んです。(秋山強志)

大先輩の内田さん(中央)を囲む(左から)柴岡地区委員長、花輪さん、吉田さん=埼玉県寄居町

「希望を持つことが長生きの秘訣(ひけつ)です」と語る内田さんは、戦争から復員後、戦前からの農民運動のなかで1946年4月、党の隊列に加わりました。今年で党歴71年です。

 信 念

三文献を読み終えた内田さんは「信念を曲げずに生きてきてよかった。野党連合政権を呼びかけた今度の党大会は歴史的な大会になりました。決定の文書が届くのを待ち遠しい思いで待っていたんですよ」と語ります。

小学校を卒業するとすぐ家業の農業に従事し、100歳近くまで働きました。若くして農民運動に身を投じ、資本主義のからくりを学ぶ学習会にも参加していました。戦後、公有地の旧桜沢小学校跡地と隣接する神社境内に民間企業を誘致する計画が持ち上がったときには、住民の″統一戦線″を築いて待ったをかけ、憩いの庭を守りました。党内外の信頼が厚く、町長選にも立候補しました。

内田さんが所属する桜沢・用土支部の吉田隆支部長(69)は「戦前・戦後の厳しい時代を生き抜いてきた偉大な先輩。話を聞くだけで元気をもらえます」。内田さんと20年近いつきあいの花輪仙造さん(78)は「終生マルクス学徒(科学的社会主義者)でありたいと語る内田さんに見習わなくては」と話します。

支部は、内田さんが書いたものを文集『内田登喜治百翁十話』にまとめました。その中で内田さんは「明日を展望した学習と生きる希望を持ち続ける限り心の老いはない」と語っています。

4年前に妻の明子さんを亡くしたあと、介護施設に入所しました。選挙のときに入所者が施設内で投票できるよう要望して、臨時投票所を実現しました。変革の志はまったく衰えません。

 日 課

吉田さん、花輪さんと一緒に部屋を訪問した柴岡祐真地区委員長(33)に内田さんは、「野党と市民の共闘が大きく発展し、野党連合政権が目前に見えるところまできました。綱領で掲げる民主連合政府を実現する直前の時代に入った。長生きしたかいがあります」と、表情を崩します。同時に、教育勅語を復活させようとする最近の動きを批判、「安倍政権を倒したい」と力を込めました。

「赤旗」日刊紙や『前衛』『月刊学習』などを熱心に読み、ベツドの横に直いた愛用のワープロで一字一字、思いをつづるのが最近の日課です。

(「しんぶん赤旗」5月4日付より)


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